
グッドニュース新聞編集部
命の恩人へのサクランボ
いまから50年ほど前――。東京・上野の谷中にあった、絵葉書製作販売会社でアルバイトをしていたときのことです。
私はまだ21歳の学生で、絵葉書関連の修行にきていた一年先輩の社員がいました。その先輩とは、仲の良い親戚の友だちという間柄でもありました。
このバイト先では、内職先をまわって10枚入りケースの絵葉書を回収し、戻ってから箱づめして、観光地などの問屋に発送する作業をしていました。
ある日のことです。急きょ、北海道の函館まで絵葉書を運ぶことになりました。社長と先輩、それから私とで2トントラックに段ボール箱を満載し、夜中に上野を出発。道中は、先輩と私とで交代しながらの運転です。
当時は高速道路などなくて、国道4号線をただひたすら北海道へと向かいました。国道といっても、わずか一車線。とくに4号は、「死号線」と呼ばれるほど事故の多い道でした。
先輩の運転中、のぼり坂に差しかかると、先行車は極端なノロノロ運転でした。下り坂になったタイミングで追い抜こうと、右にハンドルを切って対向車線に出たのですが、荷物を積んでいるので加速が追いつきません。
対向車線の前方から、大型トラックのヘッドライトがこちらに迫ってきました。
ギリギリで追い抜けたので先輩は即、左に急ハンドルを切りました。するとトラックは制御不能となり、右へ左へ蛇行して、あわや転倒という事態です。私は、「ブレーキ!」と大声で叫びながら運転席に手を伸ばし、とっさに逆ハンドルを
切りました。
トラックはなんとか停車しました。
一同は、しばし放心状態です。間一髪で大事故を回避した私たちは無事、函館に到着。なんとか絵葉書を納品することができました。
その後、先輩は修行を終え、山形へと帰郷――。以来、毎年6月末になると、先輩から名産の「さくらんぼ」がとどきます。かれこれ50年間、毎年欠かさずです。そのたび電話でお礼を言うのですが、つい数年前にも電話でお礼を言うと、思いもかけない言葉が返ってきました。
「気なんか使わなくていいよ、だって命の恩人なんだから。あのとき、必死で声をかけてくれなかったら、どうなっていたか――」
私は絶句しました。毎年のサクランボが、「命の恩人」への贈りものだったというのです。確かにあのとき一歩間違えば、大変なことになっていましたが、そんなふうに思ってくれていたなんて――。
それを聞いてからは、サクランボがとどくたび、命そして絆の大切さをしみじみと感じるのです。
(東京都・カメラマン・石澤裕・71歳)