
グッドニュース新聞編集部
大正生まれに学ぶ
わたしの祖父は大正10年に生まれ、いなべ市藤原町で馬車屋の11人兄弟の次男として育ちました。その祖父に、「人生で一番嬉しかったこと」をたずねると、祖父は「徴兵検査で甲種合格したことやな」と答えました。予想外。
まず、人格者である祖父が家族や仕事のことを選ばなかったのが驚きでしたが、それよりも、「フィリピンに行って死にかけたのに、戦争へ行く羽目になったことの何が嬉しかったのか」と思いました。
しかし、よくよく話を聞いてみると、なるほどと思える背景があったのです。
尋常小学校時代、祖父は草鞋(わらじ)を自分で編み、それが壊れるのがいやで学校では裸足で遊んでいたと言います。遊びといえば兵隊ごっこ、おやつはアケビ。卒業後は桑名の反物屋に丁稚奉公(でっちぼうこう)……。
幼い頃から働いていた祖父にとって、兵隊志願は皮肉にも、自由を選択できる光明ともいえるものだったのです。当時は肺を悪くしている人も多く、第一級の合格順位である甲種合格は容易なことではなかったそうで、祖父にしてみれば、家族中から誇りに思ってもらえた輝かしい思い出だったのでしょう。
戦後生まれのわたしには、想像すら及ばなかった理由でした。
そんな祖父ですが、もちろん戦争には反対の立場でした。でも、その理由もまた、わたしが思っているようなものではありませんでした。
「今の時代、武器が全然違うから絶対に戦争をしたらあかん」
理由がどうあれ戦争は避けるべきものですが、戦争を知っている人からするとそんな視点もあるのか、と意外に感じたものでした。
わたしは、自分の想像の外側をイメージする力の大切さを、そんな祖父からたくさん学ばせてもらった幸せ者です。
(いなべ市・ひょうきんどんぶり・37歳)
