
グッドニュース新聞編集部
痛みは忘却のかなたへ
ここ数年、父が人工透析治療を受けている。ほどなくして認知症も併発し、これが次第に悪化してきた。
食後30分も経たないうちに、「飯はまだか?」などと真顔で尋ねられると、さすがにぎょっとする。発病当初は、昔の記憶だけはしっかりしていたが、近頃ではそれもかなり怪しくなってきた。弟と私を混同することが多くなり、名前が出てこないことなどしょっちゅうで、時には、他人でも見る目でこちらをしげしげ観察したりする。親の記憶から自分の存在が薄れてゆくというのは、なかなかどうして寂しいものだ。
しかし徹頭徹尾悪いことばかりかというと、実はそんなこともない。
治療を続けるうち、血管が硬くなってしまい、透析のたびに拡張をしなければならないのだが、父にはこれが相当つらいようで、痛い、痛いとしきりに訴えてくる。聞いているとこちらまでつらくなってくる。それでも治療から小一時間も経てば、痛かったことなどすっかり忘れ、絆創膏をふしぎそうに眺めながら平然とつぶやくのだ、「おや、なんだこれは?」。あとはもう飯の催促でも始まれば、ひと安心。記憶はきれいさっぱりリセットされ、つらさを引きずることもない。これには正直ホッとさせられるし、当の本人にとっても幸せなことだろう。
人生、時に忘却も必要だと感じる今日この頃だ。
(東京都・自営業・靴崎さとむ・45歳)