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  • グッドニュース新聞編集部

編集後記

 母方の祖父の妹、98才の大叔母がついに亡くなった。

 私の姓、野村のルーツは岐阜県飛騨市古川町袈裟丸という集落。明治生まれで三男の祖父は、十代で四日市に出稼ぎに出て長野県上田市出身の祖母と出会い、所帯をかまえたのだ。

 亡くなった大叔母は元気な頃、たびたび四日市の私の家を訪れては、1か月ほど滞在していき、その間、私の知らないあいだにゲートボール仲間をつくり、試合に出てしまうほどの社交性があった。聞けば、祖父と大叔母は歳が離れていて、学校に上がる前に祖父は出稼ぎに出ているので、あまり話もしたことがなかったというから笑える。

 祖父は七人兄弟で五男二女なのだが、30年以上前に亡くなった祖父の葬式のとき、祖父のいちばん下の弟が「戸籍を見たら俺は九男だった!!」と言っていたのはおもしろかった。真相はわからないが、昔むかしのことである。

 この飛騨市古川町は、単なる野村のルーツではなく、私の創作活動の原点がここにある。いま考えれば実に不思議な話なのだが、亡くなった大叔母のご主人が、私を幼い頃からとても可愛がってくれ、小学校に上がる前から春夏冬の休みの多くを飛騨で過ごした。どれくらい過ごしたかと言うと、ある年の夏休みは終業式の翌日に飛騨に行き、始業式の前日に帰ってきた。そんなことが中学に上がるまで続いた。飛騨にいるあいだどこかへ連れていってもらうわけでもなく、多くはひとりで留守番。と言っても夏は網を持って魚や虫を追いかけ、冬は畑でスキーをして過ごした。

 また近隣の7、8軒はある親戚の家へ遊びに行ったりして、その報告で夕飯の話題が尽きることはなかった。ふたりの息子さんがいるのだが、14歳上と7歳上。大叔母の家では私はいちばん下の可愛い息子ってわけだったのだ。飛騨の友だちと喧嘩して泣いて帰って笑われた。オネショして追いかけられた。大叔母との思い出は尽きない。

 25年前、私がミュージカル劇作家としてデビューした作品『Oh! My God. 』は幸運にも宝塚ミュージカルコンクールで日本一の金賞をいただいた。

 寂(さび)れた無人駅に集まる個性豊かな人々を描いた作品、この無人駅のモデルは、私と大叔母が多くの時間を過ごした「飛騨細江駅」である。眠るように亡くなった大往生に感謝。


(本紙編集長・野村幸廣・54歳)


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